大隈侯の100回忌の節目に、志や偉業に光を当て、今日的な意味を見い出す
2018年、佐賀県は明治維新150年を契機として、幕末維新期の佐賀の偉業や偉人を顕彰する「肥前さが幕末維新博覧会」を開催。当時の佐賀の人々が世界を見据え、技術力や知識を高めながら、多くの人材を育て、強い志をもって新しい国づくりに尽力していたことを多くの人に伝えることができた。そして2021年、大隈侯の100回忌を迎え、その熱をさらに高めるチャンスが到来する。「大隈侯が早稲田大学を創設したことや内閣総理大臣に2度就任したことは広く知られた功績です。さらに今回、学芸員のサポートも得ながら、調査を進めると、これまであまり光が当てられていなかった、新しい日本を作ったとも言える様々な分野の大隈侯の偉業が浮かび上がってきました。また、それは単に歴史的な事実ということだけでなく、新型コロナウイルス感染症や頻発する災害など、この混沌とした時代を生きる我々にとって大きな示唆があることに気づくことができました。」とは事業全体を統括した南雲リーダー。人力車や飛脚が当然の時代に日本で初めての鉄道を敷いたことをはじめ、通貨「円」の制定、太陽暦の導入、日本女子大学の創立委員長として尽力するなど女子教育を推進したこと、そして今、脚光を浴びるデータサイエンスの源流となる統計の組織「統計院」の設立など、あの明治初期から新しい国づくりを牽引した大隈侯の志や構想力は今に通じるはず。そうした想いからプロジェクトはスタートした。
演劇、スポーツ、番組配信、これまでの枠に収まらない情報発信を。
「主に3つの切り口から情報発信を行うことにしました。何もないところから一本筋を通すのは骨の折れる作業でしたね。」と宮﨑係長は当時を振り返る。 切り口の1つ目は、大隈侯の功績を「演劇」で伝えることだ。史実に基づいた情報を発信するだけでなく、演劇の力で、心を動かすストーリーとして伝えたいと考えた。タッグを組んだのは、全国的な知名度を誇る、佐賀県立佐賀東高等学校演劇部。牧野主事は「観覧者アンケートには大隈侯への想いがびっしりと綴られており、これほどの反響は見たことがありませんでした。」と当時の驚きを語る。「演劇が好評だったので、県内の学校教材として活用できないか提案しました。高校生の演劇が学校教材になるのは、初めてです。」と松村参事は感慨深く語った。 切り口の2つ目は「スポーツ」の文脈で伝えること。現早稲田大学野球部の小宮山悟監督を招き、特別講義などを行った。「これまでリーチできていなかった層に興味を持ってもらうことが狙いでした。実は大隈侯は日本で初めて野球の始球式をした人物で、そのエピソードは使えると思っていました。」と光枝主任主査。 3つ目は、歴史好きでも楽しめる本格的なコンテンツを「特別番組」として地上波で放映すること。佐賀にルーツを持つ古舘伊知郎氏を起用したトーク形式で、ナレーションは、TBS『情熱大陸』の窪田等氏に依頼した。番組タイトルを『明治のイノベーター 大隈重信』とし、功績の中でも特に新しい国づくりに貢献した「鉄道」、「通貨『円』」、「女子教育」をテーマに据えた。「若い世代の職員でも意見を求められ、番組の内容に即座に反映されるダイナミックさは佐賀県庁ならではのものです。」と学芸員の芳野主事は笑顔で語る。放送終了後、特別番組は動画配信サイトにアップロードされ、再生回数は17万回を超えた。「特に次世代リーダーとも言える30-40代からの反響が大きかったです。『江戸から明治へと移る混沌とした時代に30代前半の大隈重信が起こしたイノベーションの数々を知り、自分たちも頑張ろう!という気持ちになった』、という声が多かったです。」と島松係長。
総リーチ数241万人。その理由とは。
このプロジェクトがリーチした人数は、241万人を超える。「成功要因は2つあると考えています。1つ目は、最初に計画したことだけを実施するのではなく、大きな成果が得られる機会があれば臨機応変にアイデアを形にした点です。その代表例は、「高輪築堤」の佐賀での再現展示です。日本初の鉄道建設(新橋~横浜)の際、高輪付近で用地の確保に難航し、「陸がだめなら海を通せ」という大隈侯の英断により海の上に堤防を築き、線路を通すことができました。その堤防が100回忌の節目に合わせるかのように発見された高輪築堤です。海の上に建設することで日本初の鉄道を実現させたのです。高輪築堤は、明治日本の文明開化の象徴と評価されるほど全国的な注目度が高く、日本初の鉄道誕生の驚くべきストーリーとともに本プロジェクトを後押しする大きな可能性を感じたため、その石垣の一部を譲り受けることとしました。高輪築堤の再現展示を通して、日本近代化の礎を築いた大隈侯の志と構想力を広く伝えていけると考えたからです。2つ目の成功要因は、それぞれの担当者のキャリアを染み込ませて、独自性のある取組にしてほしいと考えた点でした。メンバーにはキャリア採用の職員がいるなど多様な人材が揃っていました。例えば、私は東京の事業会社や経営コンサルティング会社で働いていました。一人ひとりが、バックグラウンドを活かしながら仕事を進めることで、唯一無二のプロジェクトを実現できました。大隈侯の数々の偉業を「イノベーション」と捉え、今日的な文脈で打ち出すことができた点もそれが結実した一つです。職員の多様性・自主性を重んじ、一定の権限を委ねてくれる佐賀県庁だからこそできた仕事だと思います。」と南雲リーダーは振り返った。
「大隈重信100年アカデミア」はさらに深化していく。
大隈重信100年アカデミアは今後もまだまだ続いていく。今年は鉄道開業150年。その年に、高輪築堤の一部の石を譲り受け、佐賀県立博物館、大隈重信記念館、早稲田佐賀中学校・高等学校の3か所にそれぞれ異なる展示ができたことは、広く発信すべき、またとない機会である。 「30代前半の若さで、日本初の鉄道事業の最高責任者となった大隈侯。その若者が鉄道反対派など様々な困難に立ち向かいながらも、なぜ新しい国には鉄道が不可欠であると考え、建設を推進したのか。また、日本初の鉄道は陸地だけでなく、なぜ海の上の通ることになったのか。新たな国づくりに力を注いだ大隈侯が、道なき道に「高輪築堤」を築いたことは、まさに、大隈侯の「志」の象徴であると思います。歴史的な事実を表面的に知ってもらうだけでなく、その具体的でドラマティックなストーリーを追体験し、大隈侯の志や構想力を多くの方々に感じてもらうため、佐賀県での高輪築堤の展示を周遊してもらえるような取組を検討しています。」と南雲リーダーは語る。 佐賀県では今後も総力を挙げて、大隈侯の魅力を発信し、その志を未来に受け継いでいく。