#2

いちご農家を救え!20年ぶりの新品種開発への挑戦。

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いちご農家を救え!20年ぶりの新品種開発への挑戦。

2010年。未曾有の大不況で、廃業の危機に晒されたいちご農家を救うべく、立ち上がった職員達がいた。彼らが挑んだのは、佐賀県を代表するいちご「さがほのか」に代わる、今までにない、いちごを作ること。20年ぶりの新品種開発にあたり、佐賀県、JAグループ佐賀、いちご農家がプロジェクトチームを結成。7年もの歳月をかけ、ついに15,000株の中から究極のいちごが誕生した。その名も「いちごさん」。一体どのような狙いで開発されたブランドなのか。その知られざるエピソードに迫る。

Member

南 隆徳

1988年入庁

農林水産部 園芸課
課長
農政職

佐伯 悟

1993年入庁

産業労働部 流通・貿易課
副課長
農政職

木下 剛仁

1998年入庁

農業試験研究センター
野菜・花き部
野菜研究担当
係長
農政職

荒平 愛佳

2015年入庁

地域交流部 空港課
空港利活用担当
係長
行政職(UJIターン枠)

※掲載されている情報は取材当時のものとなります。
※記事中の写真は一部イメージです

「このままでは農家が潰れるかもしれない!」
全ては、この一言から始まった。

佐賀県を代表するいちごの新品種「いちごさん」を開発するに至ったきっかけは、景気が著しく落ち込んだ2010年のこと。必需食品である肉や魚、野菜などとは違い、嗜好的側面が大きいいちごは価格が大幅に下落。当時の主力であった「さがほのか」の価格も低迷し、各農家から悲鳴が相次いだ。「このままでは佐賀県のいちご農家が潰れる。一刻も早くこの危機を打破する新品種を開発しなければ、と必死でした」そう語るのは当時、プロジェクトを発案し、現在、園芸振興の責任者を務める園芸課の南課長。まず手始めに、彼は農作物の品種や技術の開発を行う農業試験研究センターに出向き、研究員の面々に新品種開発への協力を打診。その場の全員が二つ返事で承諾したそうだ。さらに、JAグループ佐賀やいちご生産者達も加わり、メンバーが揃った。しかし、彼らの前に立ちはだかったのは予算の壁。過去にない規模でのいちごの品種開発を短期間で行うためには、これまでの予算規模では到底足りなかった。しかし南課長が根気よく説明を重ねて調整した結果、何とか予算を確保。「あの短期間で関係者の同意を得て、予算を確保できたのは極めて異例。農家を守りたい、という南さんの情熱が皆を動かしたんです」と流通・貿易課の佐伯副課長は当時を振り返る。かくして「いちご次世代品種 緊急開発プロジェクト」が始まった。

開発期間7年。15,000株の中から選び抜かれた珠玉のいちごが誕生。

チーム結成を皮切りに、新品種の開発がスタート。まずは全国の色々ないちごを比較して徹底的に研究。それらと圧倒的な差別化を図るべく、新品種の3条件を掲げた。実際に開発に携わった農業試験研究センターの木下係長曰く「いちご感の強い赤色、確かな美味しさ、そして十分な収穫量。この3つをクリアするいちごを作ることが私達の使命でした」。最初は様々な品種を交配させ、その試験株の中から条件に適うものを選ぶ。次にその選んだいちごの苗を農家が育て、さらにより良いものを選別していく。この気が遠くなる工程を6年も繰り返した。「育ったいちごをひたすら食べ比べるので、一生分は食べたと思います。もはや苦行ですね(笑)」と木下係長。候補が3品種に絞られ、最終的な味の判断は人の舌に委ねられた。そして選ばれたのが「いちごさん」である。「さがほのか」より一回り大きく、外はもちろん中まで鮮やかに赤い。糖度と酸度のバランスが良く、噛んだ時に爽やかな香りが鼻の奥を突き抜ける。まるでトロピカルフルーツのようなジューシーさが特長だ。南課長は「全国の人気品種と比較調査を行ったところ、“いちごさん”の評価が一番高かったので確かな手応えを感じました」と力強く話す。7年の歳月をかけて、約15,000株の中から選び抜いた究極のいちごがいよいよ全国へ旅立つ。

メディアを巻き込むPRを。「いちごさん」のブランド作りとは。

幾多の苦難を経て完成した新品種「いちごさん」。そのネーミングの由来を、当時広報を担当していた荒平係長に伺った。「真っ赤な色と美しい形、そのルックスを活かした女性らしいブランド名で、長く愛されるいちごになるような名前を目指しました。親しみやすさも考慮し、最終的に“いちごさん”に決まったんです」。ネーミングの決定後、2018年秋に満を持して「いちごさん」がデビューを飾った。まずはその存在を認知させることを最優先に、ユニークな施策を次々と実施。例えば、「いちごさんバス」もその一つ。ロンドンバスにいちごさんを連想させる真っ赤なラッピングを施し、東京都内の名所を巡りながら、車内でいちご狩りやアフタヌーンティーが楽しめる斬新な企画で話題を呼んだ。「いちごを茎付きの状態で佐賀から東京に輸送し、それを別に用意した苗に吊るしていちご狩りを再現したんです。予算も限られているので、メディアに取り上げられることを意識しました」と荒平係長。その他、菓子や食品メーカーとのコラボ商品を発売するなど、滑り出しは好調。各イベントで多くの来場者が「いちごさん」の味を絶賛し、テレビやネットもこの話題を多数取り上げた。今後は現状に甘んじず、さらなるブランディング強化を図っていくそうだ。

「いちごさん」を、日本のトップブランドへ。

新品種の確かな魅力とPR戦略が功を奏し、順調なスタートを切った「いちごさん」。その甲斐あって、2019年の栽培面積は63ヘクタール、2020年になると100ヘクタールを突破。価格も「さがほのか」を超え、いちご農家の大幅な所得向上に成功。南課長は、感慨深い様子で当時を振り返る。「あの頃は農家を潰してなるものか!と、その一心で。でも実際にどういう品種ができるかもわからないし、成功する保証もなかった。それでもここまで来れたのは、チームの皆さんが必死に頑張ってくれたおかげですね」。それに呼応するように木下係長も口を開く。「完成した新品種を食べた生産者の方々が口を揃えて、これは佐賀の救世主になるよ!と言ってくれて。何年もひたすら地味な仕事の繰り返しだったので、その言葉を聞いて心から感動しました」。苦節7年。彼らの次なる目標は、「いちごさん」を日本のトップブランドにすること。「よりプレミアム感を打ち出して、“いちごさん”を皆に知ってもらいたいですね。もっと若い方達を巻き込んで、いちごを基点として佐賀県の農業がより良く発展していけたらと思っています」と佐伯副課長。プロジェクト発足から早11年。彼らの挑戦は、まだほんの序章に過ぎない。

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